チチハルの慰安所の位置について


上はチチハルの地図。(立教大学文学部教授・小野沢あかね先生提供による。)


地図の左上に「★部隊59i」とあり、ここが59連隊の駐屯地と思われる。

祖父が言うには、『町外れの、農家の、草畑みたいなところ、なるべく人目につかないところに建物(小屋)をいくつも建てて、そこに連れてこられた朝鮮人慰安婦が住み込んで慰安所をやっていた。』(サイトより)

また、小野沢あかね先生が聞き取り調査に来た時(2016年7月)には、

『町はずれの59連隊そばから市内のほうに向かって伸びている道路に面して慰安所(小さな小屋)が立ち並んでいた、そこには若い朝鮮人女性ばかり大勢いた』と一貫して証言していた。

『名前は忘れたがかなり大きな川があって、その近くに駐屯していた。チチハルはかなり大きい町で、現在の宇都宮くらいはあったんじゃないか、自分の駐屯していたところからチチハルの街中までは数キロだった。』(サイトより)とも言っており、慰安所があったのは「★部隊59i」の近辺ではないかと思う。


「旧満州への朝鮮人「慰安婦」連行資料集」の管理人・サトぽんさんに分析して頂いたところ、次のような答えが返ってきた。


『チチハルに駐屯していた14師団は、歩兵第2連隊(水戸)、歩兵第15連隊(高崎)、歩兵第59連隊(宇都宮)で構成されている。iは歩兵を意味するinfantryの頭文字だろう。このうち、第2連隊は地図上にはないが、第59連隊と第15連隊は離れて駐屯しているので、お祖父さんの見た慰安所は、確実に連隊が管理する慰安所ということだと思う。松本正嘉さんの話(わが太平洋戦記)だと、第一から第三まで慰安所があったというから、連隊付属のものとしては、他の戦地よりも相当に大きい。もうひとつ、師団直属部隊である、戦車隊や通信隊も別に離れたところにあるので、こちらも慰安所を持っていた可能性がある。また、チチハルの中心部に将校用の慰安所があったということがはっきりしている。』・・・