慰安婦問題における諸論点

 
1、「挺身隊」と「慰安婦」は混同などされていない

参考サイトは

右翼論壇に蔓延する「挺身隊」という言葉に対する無知から生じる誤解)と

「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」)。

 

 歴史学者の林博史先生にも確認したのですが、要するに、1944年に「女子挺身隊勤労令」というものが出されましたが、これ以前にも「挺身隊」という言葉は広く日本でも朝鮮でも用いられていた、ということです。上記サイトにはさまざまな証言や日本兵の手記、新聞記事や出版物が引用されています。

 朝鮮では、「挺身隊」「処女供出」「徴用」は人々に同じ意味をもって受け取られており、それらは被害者の証言の中では1938年にすでに現われており、1940年11月13日付け『毎日新報』には、「農村挺身隊」の結成が報じられた記事が存在しているそうです。

 このような背景があるからこそ、様々な証言や手記の中に「朝鮮女性達は挺身隊の名の下に募集された」という記述が出てくるのであり、90年代初頭に朝日新聞や読売新聞がそのような報道をしていたのも、そういう理由によるものと思われます。

「慰安婦は挺身隊という名目で集められた」という説は何も間違ってはいません。事実なのです。

追記(2015年12月17日):このサイトも参照。朝鮮人女性を女子挺身隊の名で連れて行ったのだ』!

※追記(2016年1月12日):『産経も慰安婦を挺身隊と書いていた!』

 

2以下、作業中。