お詫びと訂正
(※お詫びと訂正・1)今までフォトギャラリーにアップしてありました記念顕彰ですが、これは国から贈られたものではなく民間の業者に製作して頂いたものであると判明しました。ここに訂正し、謹んでお詫び申し上げます。代わりに、祖父の戦歴を証明するものとして、「履歴証明書」「陸軍兵籍簿」「陸軍戦時名簿」を栃木県庁より取り寄せ、アップしました。これは旧陸軍から引き継いだ資料を栃木県庁が保管していたもの、およびそれを元に分かりやすい文書に清書して頂いたものですので公的な証明書です。
また、それらと照らし合わせると、祖父の証言は年月日や当時の階級など、細かい点でいくつか食い違う点があります。明らかに違う点は訂正を入れておきました。しかし証言は証言ですので、証言内容の修正や撤回などは基本的に行わないつもりでおります。
記念顕彰の画像について。
右下の「勲八等白色桐葉章」を授与された時の勲記について、2015年3月31日、内閣府賞勲局の田村さんという方に確認しました。田村さんによると、この1346735号という数字は昭和16年8月5日、支那事変陸軍生存者 第二回叙勲で34967人が叙勲されており、そのうちの一人で間違いない、とのことでした。日付が昭和15年4月29日となっているのは、この叙勲は相当に多くの人が受けており、第七十何回までやっている、日付をすべて昭和15年4月29日とすることにより効果を遡及させているのです、とのことでした。祖父は支那事変には従軍していないがなぜ叙勲されているのですか?との問いには、現地にいて部隊の援助行為などをやった人なども含まれている、とにかく相当に多くの人が叙勲されている、とのことでした。
中央下の祖父の戦歴に関してはほぼ合っていると思います。
左側の下、「大東亜戦争従軍記章」なのですが、これはあるネットユーザーの方から『作られたが授与されることなく終わった記章なのではないか』との指摘を受けました。調べてみるとその通りのようです。なぜこの記章があるのか、業者に聞いてみないと分からないのですが、どの業者がこの顕彰を製作したのか、いまだ手がかりが掴めていない状態です。判明次第報告したいと思います。
(※訂正・2) 祖父がチチハルに行ったのは正確には1941年。さらに 「陸軍戦時名簿」および「陸軍兵籍簿」を見ると、祖父のシベリア抑留は昭和17年1月から昭和19年3月の間に起こったことと思われます。そうすると「日ソ中立条約の前」というのは完全な祖父の思い違いであったということになります。謹んでお詫び・訂正申し上げます。
(※訂正・3) 正しくは、祖父は当時「兵長」でした。 (2015年4月10日)